« デヴィル・インサイド Devil Inside | トップページ | サムタイム・サムライ Sometime Samurai »

2007年2月12日 (月)

ジ・インナー・ライト The Inner Light

ちょっと早めのバレンタインです。プレゼントをもらいました。

ひらがな日本美術史5 橋本治

Dscf2304

これは今の私のストライクゾーンど真ん中です。何がストライクかというと若冲をはじめとする絵師の作品の評論が並んでいるから。そして著者が橋本治(!)だからです。

まだ半分くらいしか読んでないのですけどやっぱり面白い。読んで思うのはなんと理屈っぽいのか、です。その理屈っぽさは涙が出そうなくらい面白くて私は喝采を送ってしまうのです。その理屈っぽさは自分の内なる「私はどうしてこの作品がいいと思うのか?」を納得させるためにあります。その納得のために教養があるのです。

この作品の資料的意味を示した後に評価を論じるようなスタイルではありません。例えばこの本の中の

その八十六・・・・・「似ている」が問題になるもの 東洲斎写楽の役者絵

”謎の絵師”写楽を論じるために彼は作品と対峙した自分を掘り下げることからはじめます。ちょっと長いですが引用しますね。

たとえば、「すごく面白い小説を何冊も立て続けに書いた作家」がいて、その作品以外に「作者はいかなる人物か」を知る情報がないとする。そういう場合、「作者はいかなる人物か?」という詮索だって、当然起こることだろう。そのために必要な行為は、「その作品をよく読む」である。ただ面白がって読んでいたところから一歩進めて、その作品の中に遺されている「作者の痕跡」を読み取ることだろう。その場合、私は「どういう人間がこういうものを書くのだろう?」と思う。思って、その次には「なぜ自分はこういうものを面白いと思うのだろう?」と考える。考えて、「自分はこの作品のどこをどのように面白いと思って、”こういうもの”という規定をするのだろうか?」と思う。「その作品のどこをどのように面白いと思うか」が私にとっての「他人の作品を解釈するためのモノサシ」である。私がそういうモノサシを持つのは、「自分の中にある、その作品を通して共鳴してしまったものの正体」を知りたいと思うからである。私は、その正体が知れれば、他人なる作者が「正体不明の人物」であってもかまわない。かえって逆に、相手の正体が不明のままの方が、こちらの想像力が自由に発揮できたりもする。私はそういう人間なので、私には「戸籍調べの趣味」がほとんどないのである。
もちろん、こういう私のあり方がただ正しいわけもなく、私のような人物は、専門的には「基礎調査に関して至って怠慢な人物」ということになるのである。困ったことだが、私には「いいじゃん、別に、俺は専門家じゃないんだから」という逃げ道もある。だから結局、「いいじゃん、別に」なのである。
(アンダーラインは実際は傍点です)


最後の方の「いいじゃん、別に、俺は専門家じゃないんだから」というのは明らかに謙遜ですね。彼ほど教養にあふれたヒトも居ないわけですから。でも教養の無い私のような人間にとっては、とても勇気を与えてくれる言葉でもあります。それで調子に乗ってこういうブログを書き続けているのかもしれませんが。

この本は「日本美術なんてわからないよ」という人びとにとって最良の入門書の一つです。彼は美術に接して「俺はこの作品を見てこう思ったんだよな」と全編書いています。つまり「これを見てこう考えた自分は間違ってないんだよ。だってそう思ったんだから」ということでもあります。そして「いいじゃん、別に」と言い切れるその強さはとても素敵です。

うーん、いいものもらった。

Dscf2306

|

« デヴィル・インサイド Devil Inside | トップページ | サムタイム・サムライ Sometime Samurai »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/109279/13881823

この記事へのトラックバック一覧です: ジ・インナー・ライト The Inner Light:

« デヴィル・インサイド Devil Inside | トップページ | サムタイム・サムライ Sometime Samurai »