2008年8月 6日 (水)

スカイ・クロラ(2)

前回の続きであります。

この映画の最大のポイントは「ティーチャー」という敵のエースパイロットの存在です。彼が操る戦闘機は描かれますが、彼自身の姿は最後まで現れません。彼がどういう人物なのかは映画の登場人物たちの言葉から推し量るしかありません。

「大人の男である」

「彼と一戦を交えて帰還した者はいない」

「以前はこちら側で仕事をしていたが、敵側に移っていった(理由は語られない)」

「クサナギと何らかの関係があるようである(子どもの父親かもしれない)」

ここでひとつ疑問が湧いてきます。この映画の中で戦闘要員として描かれているのはキルドレだけです。その中に1人だけ「大人」が混じっているのは不自然じゃないでしょうか。

「ティーチャー」というのは本当に本当に「大人」なのか?

ティーチャーは実際はキルドレであるけれども、人間として成長して「大人」になった(「大人」と称している?)のではないかな、と邪推しています。さもなくば、カンナミの原形のようなヒト(そのヒトの遺伝子を操作して新たに生み出されたのがカンナミ?)では?クサナギとティーチャーに何らかの関係があったことから推察されるのは、ティーチャーとカンナミは同一であるということですね(さらに言えば、カンナミの前任者とも)。

自分と同じ姿形をした者が他に存在するということは、その人はまごうことなく「キルドレ」であるわけですから、自分が「大人」であるためには、「その他の自分」がこの世に存在することは許されないわけです。

ではどうするか。

「その他を抹殺する」のが一番手っ取り早いですね。できれば合法的がいいですね。

「以前はこちら側で仕事をしていたが、敵側に移っていった(理由は語られない)」

こう考えると....全ての筋が通る気がするんですけどね。どうかしら。

さらに言えば、前任者がクサナギに殺されたのも、これに近いところまで知ってしまったからではないかと思うんですよ。彼女が愛しているのは確かに自分(前任者)であるけれどもそれは別の肉体と人格(ティーチャー)である。でもそれは自分である。娘も自分の娘である。この混乱の中で前任者は死を選ばざるを得なかったのではないかなぁ。

ついでに言うと、クサナギがティーチャーに戦いを挑んで撃墜され、九死に一生を得るシーンがありますが、自分の愛するヒトは今基地で自分を待っているはずなのに、目の前の敵の戦闘機の中にもそのヒトがいるということになったら、どちらかがいなくなるか、さもなくば自分が死んでしまうか、しかないかもしれません。

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この映画は、子どもが大人に成長するためには「父」を否定しなければならない、というメタファーとして捉える方が鑑賞しやすいかもしれません。私も映画を見ながら考えていたのはどちらかというとそのことでした。

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ある意味、とてもめんどくさい映画です。私のような凡人からすると、もう少し「分かりやすく」つくって欲しかったなと思います。だってもう一回見に行かなくちゃならないじゃないですか、確認のために。

前回、今回と勝手なことを書きまくってますが、原作とかガイド本に全く違うことが書いてあったら大笑いですな。でも、こんなに妄想をかき立てる映画ってあんまりないと思いません?

まぁ、いいですよ。世間の評判はどうであれ、私にとっちゃ大傑作なんだから。

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2008年8月 5日 (火)

スカイ・クロラ

”もう一度、生まれてきたいと思う?”

「スカイ・クロラ」を鑑賞。

私にとってはとても難解な作品でした。

「つまんない、最低」という意見も判らんでもないですが、私的には支持したいという気持ちです。

映画評を書く時にはあらすじを簡単に示すのが常道でしょうけど、それが非常に難しいので、感想を思いつくままにざっくり書いてみます。つまり、映画を見ていない人には何を言いたいのかさっぱりわからん、ということになるでしょうけどね。

この映画の背景となる重要な設定として「永遠に年を取らないコドモ(の容姿をしたヒト)が再生産される世界」であるということです。そのコドモを映画の中では「キルドレ」と呼んでいます。

映画を観た時には「永遠に年を取らないコドモ」というのはセリフでも出てくるので比較的判りやすいのですけど、彼らが「再生産」されているというのは映画を見終わってからやっと気づきました。

主人公の同僚として新聞紙を几帳面にたたむ癖があるキルドレが描かれていましたが、彼が戦死した後に、姿形は微妙に違う同じ癖を持つキルドレが「補充」されてきます。DNAが同一のクローン猫であっても毛の模様は違うということと同じことなのかもしれません。

主人公は補充されたキルドレに対して、「同じ癖を持っている奴がいた」とつぶやきかけるシーンがあるので、自分がキルドレであることは知っていても、「再生産」されているのは知らないという設定のようです(ただ、この瞬間に自分の状況を悟ったようではあります)。

この物語りそのものも、主人公のカンナミが前任者の代わりにある基地に「補充」されてくるところから始まって、カンナミが戦死した後に再生産されたカンナミによく似たキルドレが再び「補充」されてくるところで終わります。ただただ、淡々と描かれているので映画館をでる時は理解できなくて、頭の中で「?」が飛び交っていたのですが、考えていくとだんだん腑に落ちてきました。もしも理解しながら映画を観ることができたら、最後のシーンで泣いてしまったかもしれません。

この設定を前提とすると、キルドレは生まれついてのもの(というか、大人によって人為的に造られた命)であるはずです。本当のこどもから「どうして大人になれないの?」と聞かれて「なれないんじゃなくて、ならないんだ」とカンナミが答えるシーンがありますし、「これから死んでいくのになぜ大人にならないといけないんだ」と反論するようなシーンもありますので、彼らは自分の出自にどのくらい自覚的かは判りませんが、自分の存在自体は肯定している(肯定したい)ようです。

ただ、キルドレであるという存在が居心地がいいかというと、そうではないものも一部にはいて、その1人がミドリという人物(彼女もキルドレ)です。彼女は自分の存在そのものに常にイライラしていています。理由は「自分が何者かがわからないから」。他のキルドレ(クサナギを除いた)は過去の記憶がないことを受け入れている(疑問に思っていない)ので地上での物語りは表面上は淡々と描かれていきますが、ミドリは自分にはっきりとした過去の記憶がないことに不安を覚えているので、周囲と摩擦を起こしていきます。彼女の存在は映画の中では「うるさく」描かれていますので、「なんだか邪魔だな」という違和感を感じてしまうほどです。でも、彼女の存在が後半の流れを生む鍵となっていくのであります。

ミドリはクサナギを憎み、殺そうとします。この点が私は実はよく理解できませんでした。正しいかどうかはわかりませんが、2通りに理解しています。ミドリがクサナギを疎ましいと思ったのはクサナギがキルドレであるにも関わらず、過去の記憶を持っているからであると。記憶の積み重ね、経験の蓄積が成長を生むわけですから、キルドレの中では最も大人に近い存在であるということになるでしょう(もし10歳くらいの子どもを生んでいるとしたら、その分の記憶の蓄積はあるはずです)。ミドリ自身も大きな戦闘の前に死ぬかもしれないというのに、子どもボランティアの予定が変更されるかどうかをとても気にしているように、ささやかではありますが、社会と積極的に関わろうとしています。必死に基地での生活と空での戦闘以外の記憶を造ろうとしているかのようです。

でも「それだけ」で殺す理由になるでしょうか。もう一つの理解は邪推と思われるかもしれませんが、ミドリは「クサナギの再生産」ではないかということです。ミドリがカンナミに惹かれていく理由は全く描かれていませんが、カンナミとクサナギが自然と惹かれあう姿が必然であれば、ミドリがカンナミに好意を抱くのも必然であるでしょう。クサナギが存在する限り、ミドリはクサナギのコピーにすぎないことに気づいてしまい、殺そうとしたのではないかと考えています。

結局ミドリはクサナギを殺すことができませんが、クサナギ自身が自分を殺すようにカンナミに懇願します。永遠に生き続けることに耐えられなくなったというよりは、同じ日常が繰り返されること(もしかしたら、今のこの瞬間すらいつか繰り返されるかもしれない、という荒涼とした思い)、その一方で、自分の娘(?)は日々成長してやがて自分に追いついてしまう(そして年老いて死んでいく)という現実。

カンナミは「君は何かが変わるまで生き続けろ」とクサナギを説得して死を思いとどまらせるのが、この静かな物語りのハイライトではあります。この言葉には力はありますが、意味はありません。カンナミが最後の戦闘に向かうシーンでのモノローグでは正反対の言葉をつぶやいています。

「同じじゃいけないのか?」

でもその後、彼は「何かが変わるかもしれない」と思い込んで、ティーチャーに戦いを挑み戦死してしまいますが、それこそが「同じことの繰り返し」なのかもしれません。

 

このすさまじい世界観が分かっていないと「戦闘シーンはすごいけど、地上のシーンはいまいちだね」ということになってしまうかもしれません。

”もう一度、生まれてきたいと思う?”

これって、最高のコピーじゃない。

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2007年7月23日 (月)

インサイド・ストーリー The Inside Story

映画見てきました。「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」。

映画としてはよくできていたのではないでしょうか。ただ、原作を読み込んでいる人には物足りないというのもよく分かります。映画には上映時間というものがありますから原作を忠実に再現するというのはまず無理。前作の方がはしょり方は上手だったかな、とも思いますが、今回は前作のような派手な場面が少なかったし、心理描写的なものが多かったのでその制約を考えると脚本、監督は健闘したと言って良いでしょう。原作読んでいる時は、派手な展開が全く無かったので、これで映画になるのかな、とある意味ハラハラしましたが、最後に魔法の戦いが始まったのでホッとしたくらいです。

映画は当然のようにヒットしそうですが、成功の秘訣は、演技陣と原作の登場人物のイメージが驚くほど近いことにもあるのではないでしょうか。今回登場したアンブリッジ先生はホント原作のイメージ通りだったし。

映画の帰りには6作目の「謎のプリンス」をTSUTAYAで購入。さっそく読み始めたりして。そうそう、シリーズ最終巻の「The Deathly Hallows」がすでに本屋に並んでましたよ。ちょっとびっくり。

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2007年7月 3日 (火)

眠そうな二人 Two Sleepy People

恋愛睡眠のすすめ」を鑑賞しました。監督はミッシェル・ゴンドリーです。ビョークのPVの監督だとかの説明はいまさら不要ですよね。前作の「エターナル・サンシャイン」も最高だったですし。

それで今回の作品ですけど、よかったですよー。かわいいモノ好きにはたまらん映画ですわ。夢の中のシーンがたくさんあるんですが、そのセットがとてもチープ。人形を一コマずつ動かすアニメーションの手法を使われていていちいちかわいいわけです(段ボールでできていたクルマ欲しいな)。

この映画のストーリーは、自分の父親の死をきっかけに別れていた母の住むフランスへ帰ってきた男の子(ガエル・ガルシア・ベルナル、「バベル」に出ていましたね)のお話しです。フランス語はうまく話せないし、母親が探してくれていた仕事も自分の思っていたものとはちがっていて、なかなか周囲と溶け込めない男の子。アパートのお隣にシャルロット・ゲンズブールが扮する女の子が引っ越してきて彼女に恋をしてしまうのです。男の子はさえないのですが、うまくいかないのかというと案外そうでもないのです。ところがこの男の子は眠っちゃうと妙な夢を見てしまうので現実か夢か境目がはっきり判らなくなってしまって、うまくいきそうなのに自分でぶち壊してしまったりするのです。

男の子の一連の変な行動(や夢)を見ていると「母親の存在感の薄さ」を感じてしまいます。まず母親の出演シーンが少ないし、出演したと思ったら母親が自分の知らないオトコをボーイフレンドにしていて、それを鬱陶しく思ったりする場面なのです。もうひとつ象徴的なシーンがありました。フランスへ久しぶりに帰ってきたら、もともと自分が使っていた部屋はもとのままにしていてくれたのに、ベッドは小さいままで、窮屈で寝心地が悪い、というオープニングでした。つまり、成長した自分、等身大の自分を見てくれる母親ではなかったということが如実に表れています。

その欲求不満が女の子への行動に現れてしまっているようでした。女の子の部屋に忍び込んで何かエッチなことでもするのかと思えば、彼女が大事にしているぬいぐるみの馬を動くように細工したりします。その忍び込んでいるところを女の子に見つかってしまって気まずくなりますが、理由が分かると女の子はあっさりと許してしまいます。
女の子に向かって一緒にオブジェ(それも変な)を創ろう、と提案すると意外にもあっさりOKだったりもします。

つまり女の子は男の子のなかでは母親の不在を埋めてくれる役割のようです。それは最後のシーンに象徴的でもあります。

女の子が自分を愛してくれないと(一方的に)勘違いしてしまって、メキシコに帰ると言い出すのですが、さすがに女の子も怒ってしまってけんかになってしまいます。「いったいどうして欲しいの?」と問い詰められた男の子は「頭をなでて欲しい」と答えて、けんかの途中なのに眠ってしまいます。そして頭をなでられながら美しい夢を見る(この夢は「自分的に」最高に美しいシーンでした。ホントとっても良いのです。かなりじーんとしました)ところで映画は終わります。

そして、この映画に強く惹かれる私も実は誰かに甘えたがっているのかな、なんてことも考えてしまいました。

前作の「エターナル・サンシャイン」の方が映画としては「ちゃんとしてる」かもしれませんが、何回も見たくなるのはこっちかなー。

この映画のプログラムです。上の方で赤い糸で綴じてあってレポート用紙みたいになってます。カワイイつくりです。

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男の子が「70歳になったら結婚してくれる?」と電話口ですねて尋ねるシーンもあったな。かわいかったな。

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2007年4月30日 (月)

トラウマ Trauma

連休ですね。今日は何かと話題の「バベル」を観てきました。

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大きなショッピングモールの中にあるシネコンプレックスで観たのですが、ショッピングモール内は人でいっぱい。さすがに連休です。子供の大量発生でした。

映画館も盛況でチケット買うのにこんなに並んだのははじめてでした。「ゲゲゲの鬼太郎」目当てなのかな。「バベル」もほぼ満員でしたね。

映画はどうだったかというと、よくできていて面白くはあるんですけどみていて「つらい」作品でした。エンターテインメント性はうすくて堂々たる「映像作品」でしょうか。キーワードは「ディスコミュニケーション」

「ディスコミュニケーション」を主題にしたいくつかのストーリーが同時進行していきます。それぞれが「痛い」ストーリーで観客は常に緊張を強いられます。ホント観ててつらいんですよね。そして出演者の誰にも感情移入しにくいんです。

その中でやはり印象的なのはアカデミーノミネートの菊池凛子さん主人公のストーリーでした。菊池さんももちろん素晴らしかったのですけど監督の演出が冴えていました。菊池さんは聾唖者を演じているのですが「音の無い世界」を実に巧みに、そしていかに厳しい世界であるのかを表現しています。無機質なサウンドが鳴り響くクラブの中で若い人たちが踊り狂っているのですが、音の聞こえない彼女にとっては「異様な空間」としか映らないわけです。このシーンでは突然音がすべて消えて、彼女にどう見えるのかを表現しているのですが、この映画では最も印象的だったと言えるでしょう(素晴らしい演出!)。その表現者が日本人であるのはやはり誇ってよいのではないでしょうか。

映画は淡々と進み、淡々と終わっていくのですけど、最後には「もしかしたらヒトは通じ合える(かもしれない)」というメッセージが控えめに差し出されてエンドタイトルが流れていきます。

連休にエンターテインメントを求めて観る映画としてはちょっとふさわしくないかもしれませんが、「連休なんか知るか!」という殺伐とした気分の方にはちょっとお勧めしたいかも。一見の価値あり、です。

*追記
「バベル」を観て気分悪くなる人が結構いるそうですね。さっきニュースでやってました。映画の一番のみどころのひとつであるクラブのシーンらしいです。私も実は映画の後、胃の辺りがむかむかしてしまって帰って横になっちゃいました。お昼ご飯の食べ過ぎが原因かもしれませんけどね。

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2007年4月 8日 (日)

ロッキーに学べ! Lessons Learned From Rocky I To Rocky III

ロッキーって映画あるじゃないですか。今度最後の続編が公開されるらしいですけど(ホントに?)テレビCMがよく流されてますね。

あれ見ると「あーぁ」と思うんですが、あのテーマソングが流れるとなんか抗えないものがありますね。音楽聞くだけでなんだかじーんとしちゃうんですよね。「しっかりしろ、俺」とか思って我に返るんですが、あのテーマソングにやられてふらふらと映画見に行っちゃう人案外多いんじゃないでしょうか。ロッキーっていう映画がここまで続けられた要因の一つにあのテーマソングがあるんじゃないでしょうかね。

こんなふうに感じるのは私だけ?1stロッキーを中学の時にリアルタイムで見て感動したからかなぁ(3作目までは見たんだっけ)。

ちなみに今日のタイトルはCornershopの「Handcream For A New Generation」から。最近Cornershopどうしてるのかな。面白いバンドなんだけど。

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2007年2月27日 (火)

ビューティ・フラ The Beauty Hula

この前の日曜日、1000円で「フラガール」を観てきました。

面白かった、この映画。途中で何度もうるうるきました。最後のフラダンスのシーンは最高だったなぁ。

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私がこの映画で一番印象的だったのはお母さん役の富司純子さんですね。良い役者だわ。気に入ったのはお母さん役の富司純子さんが娘(蒼井優さん)のダンスレッスンのシーンを見てしまうところです。

世間では若くて元気のいい娘(ものは考えてなくても)というだけで「可能性」の原石ではあるはずですが、消えゆこうとしている炭鉱の町では、「可能性」という言葉は知ってはいても、あまりにも突飛で現実感ゼロであるわけです。町の誰もが「可能性」というものはおそろしい獣のようなものであり、関わったら取って食われてしまうように考えています。
ところが「可能性」はそんな町にもやって来てしまいます。先生(松雪泰子)の踊る姿を見て若い娘たちは「可能性」にやられてしまいます。「なんだかわからないけどワクワクする」「ちょっとこわいけどやってみようかな」と思っても仕方ないでしょう。ギャルだから。(ちなみにこのシーンに説得力を持たせることができたのは松雪泰子さんの迫真の演技によるものでしょう)

「可能性」は町の人にとっては見たことのない恐ろしいものですから、「可能性」という”とんでもないもの”にやられてしまった自分の娘を「治してあげなくちゃ」と思うのは母親としては当然の行為ではあります。だから家から追い出したりとつらくあたります。「今のうちに治しておかないととんでもないことになってしまうからな!」という理屈ですが何をもって「とんでもない」ことなのかは本人にもよくわかっていません。だって「可能性」というものを見たことがないからです。

ところがついにある日母親は「可能性」を実際に見てしまいます。「私のダンスを見て!」という娘の無言の表現に母親は混乱してしまいます(松雪泰子のダンスを見て「可能性」に目覚めてしまった娘たちとの対比が面白いですね)。目を合わせることができなかったのは、自分の中にも「わくわくしてしまう」ギャルが居ることに気付いてしまったからでしょう。そして「私もなんだかわくわくするわ!」と思ってしまった時点で母親は自分の娘を瞬時に理解してしまいます。
男である父親の場合は理解するまでにはそれなりの順序が必要ですが、ギャルである母親にとっては「私もわくわくする!」以上は必要ありません。そう感じてしまった時点でギャルである娘とは同士になってしまうわけです。いてもたってもいられなくなった母親はあっさりと「炭坑」側から「ハワイアンセンター」側へ寝返ってしまいます。この早業は内なるギャルのなせる技なのですが、炭坑の男たちはまさか富司純子さんの中にギャルが住んでいるとはおもいませんからその豹変ぶりにはうろたえるしかないわけですな。

ぷくちゃんさんがご指摘のようにこの映画は豊川悦司の「女ってのはまったく強いよな」に集約されるというのはまったくもって正しい見解と言うべきでしょう。言い換えれば「女ってのはよくわからない生き物だよな」ということでもあります。

とても楽しい映画でした。去年のうちに見ておけばよかったなぁ。

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2007年2月19日 (月)

ドリームガールズ Dreamgirls

ドリームガールズ」を観てきました。

これ最高です。
まず最初のオーディションのシーンからぐいぐい引き込まれます。おんなのこ3人組み(ドリーメッツ)が歌う「Move」の迫力。もうかっこよろしいんですわ。”原石”という感じを映像でかっちり表現してありましたね。拍手しなくていいんだろうかと錯覚してしまったくらいです(アメリカだったら実際拍手喝采かも)。

このドリーメッツ(後のドリームズ)の一員がビヨンセなんだろうな、と思っていたのですが、そのビヨンセがいないじゃないですか。あとから参加する設定なのかな、と思ってよーく画面を見るとバックコーラスの一人が彼女ではないですか。メイクをしていない(ようなメイクの)そのお顔は女王ビヨンセ様とは全く違ってるんですよ。いやー、ずばり美人でしょう(でもオセロの中島にもちょい似)。もとが良いからどんなメイクも映えるのだなと思わず納得。

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プログラムの裏表紙です。中央がビヨンセ様。

とにかくこの映画の最大の売りは、ライブシーンの迫力です。
歌える役者を集めたことに成功の鍵があるような気がします。私、プログラム読むまではビヨンセ様以外は口パクだと思い込んでいたのですよ。ところが全員が実際歌っているんだよね。
当然撮影の時はいろいろカット割りしているのでしょうが、編集が上手なのか、ライブ感がよく出ています。へたなコンサートビデオよりも優秀ですね、これは。

ぷくちゃんさんもブログに書いてらっしゃいますが、ジェニファー・ハドソンが素晴らしい。一応助演でしょうが彼女、ビヨンセ、ジェイミー・フォックスの群像劇ですね。彼女みたいな歌えて演技も出来る若い女優がいきなりぽっと出てくるのが、やっぱりアメリカのすごいところかな。

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音楽ファンとしてはどの出演者が実際誰をモデルにしているのかが気になるところです。ビヨンセ様は当然のごとく”ダイアナ・ロス”でありドリームズは”シュープリームズ”、レインボーレコードは”モータウン”ですが、その他はよくわからないなぁ。
エディー・マーフィーがメロウなバラードを歌ったり、”Patience”という曲(”What's Goin' On”でしょ?)をニット帽をかぶって歌うところはマーヴィン・ゲイに見えたけど、実際はどうなんでしょ。ジャクソン5とマイケルを挿入しているところは私にもわかりますけどね。そういうネタさがしとしてもこの映画は案外楽しめるかも。R&Bファンがうらやましいです。
あとマーチン・ルーサー・キングをジョークのネタにするあたりはなかなかセンス良いですよ。


CDも買ってしまいましたけど、映画の中で架空のレコジャケ(もちろんLP)がちらり、ちらりと出てくるのですよ。あれ欲しいなぁ。

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2007年1月27日 (土)

プレイ・デッド Play Dead

ニコール・キッドマン 撮影中に事故

あれれ、と思いましたが、よく読んでみると

”あわや惨事という衝撃だったが、シートベルトが命綱となり軽傷で済んだ。ケガの部位などは明らかになっていない。”

これだけなら、「大事に至らなくてよかったね」ですが、気になるのは

”精神科医に扮したキッドマンが運転席に乗り込んだジャガーのボンネットにゾンビがしがみつき、それを振り落とそうとするシーン。”

いったいどんな映画に出てるんでしょ、彼女。
知的な美人で演技力にも定評のある女優さんですけど、大ヒット作には今一つ恵まれてないからなぁ。何かを吹っ切ったのかなぁ。

ニコール・キッドマンとゾンビ。なんか結びつかないです。

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2007年1月21日 (日)

悲しい支度、青白いたいまつ Tristes Apprets, Pales Flambeaux

映画「マリー・アントワネット」を観てきました。
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悪くない、悪くないですよ。私は結構好きですね。

オープニングがカッコよろしいですね。タイトルの”MARIE ANTOINETTE”がギャング・オブ・フォーの「Natural's Not In It」に乗って現れるのですけど、そのロゴがピストルズの「Never Mind」のコピーなんですよね。なかなかいい感じです。ついサントラ買っちゃいましたよ。

映画は「ベルサイユのばら」で見覚えのあるストーリーが続いていきます。ポリニャック夫人とかフェルゼン候とか主要登場人物をほとんど知っていたので我ながら驚きましたね。ベルばらおそるべし。

話は誤解を恐れずに言えば「退屈」。「マリー・アントワネット」というタイトルから大河ドラマ的なお話を想像している向きにはきっと期待外れでしょう。
このお話は、ちょっと若くてかわいいけれど特に取り柄の無い「退屈な」おんなの子のお話です。彼女の「退屈」を紛らわせるための日常を終盤まで延々と描いていきます。おんなの子の興味はきれいなもの、かわいいもの、おいしいもの、刺激的なことで今とちっとも変わりません。
かわいい洋服(ドレス)を選んだり、コンサート(オペラ)で盛り上がったり、クラブ(仮面舞踏会)で夜遊びしたり、おとこの子とデートしたり....その様子を執拗に追い続けます。いつも楽しそうに遊んでいるんですけど一人になると寂しそうな目をしています。ようやく子供が産まれてもペットをかわいがるようでもあります。

終盤になって彼女の周辺がにわかに騒がしくなりますが(フランス革命)、ほんとうに最後の最後に民衆と対峙してそれからようやく大人の顔になります。革命によって「退屈」から開放されるのです。最後に無残に破壊された彼女の部屋が一瞬映し出されそこで映画はぷつりと終わります。この映画の主題は彼女の「退屈」なので「退屈」から開放された彼女には関心はないのでしょう。

この映画では人間模様はほとんど描かれません。ベルばらの濃密な世界を期待して足を運んだ人たちは怒り出すかもしれませんね。アントワネットと(わずかに)ルイ16世以外にはほとんど人格が感じられないですもん。いや厳密に言えばアントワネットの人格もあまり描かれません。この映画を見て我々に判ることは、彼女は何が好きで何が嫌いかということ”だけ”だから。
この映画は彼女の「退屈」を一緒に味わうためにあります。

主演のキルスティン・ダンストって美人でもないしなんかぱっとしないなぁ、とつねづね思ってたんですよ。どうしていろいろ使われるのか不思議でしょうがなかったのですが今回考えを改めました。とってもキュートで良い女優さんでした。ちょっと好きになっちゃった。

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